「しゃみせん」の「しゃみ」は「三」か?
要約
- 三味線(しゃみせん)は沖縄の三線(さんしん)という楽器に由来すると言われている。
- さらに古くは中国の楽器、三絃にルーツを持つと考えられている。
- しかし、「三絃」と「しゃみせん」は音の対応として変に見える。
- 特に、「三」は日本漢字音だと「サム(> サン)」であるはず。
- これについて調べてみると、以下の過程が想定できることがわかった。
- まず、14c頃の中国語で比較的早く口蓋化が進んだ方言形として「三絃」*səmɕienを考えることができる。
- それが琉球語ではサ行音価を[ʃ]として、*ʃamuʃenのように「三」のm韻尾に母音添加されて借用された。
- じゃが、後続の硬口蓋子音(ʃ)によって、添加された母音が前舌化してʃamiʃenのように日本漢字音の「三(サム)」とは異質の対応を示す変化を生じた。
- そして16c頃に楽器が本土にもたらされ、中央日本語ではsjamisen、つまり「しゃみせん」として借用された。
- 要するに、「三絃」説は音の対応としては問題ない。
- 個人的には「蛇皮線」説よりも「三絃」説を「三味線」の語源として推したい。
導入:三絃説
と、いう感じで要約してしまうと上の通りなんですが、以下ではもう少し(7000字)ちゃんと論じてみようと思います。
いや、要約がわかりにくい、みたいな話はあると思うのですが、記事の長さからしてよほど三味線の情報を求めている人以外は読み進めないのがおすすめです。
その上で読む人のために、読み飛ばして全体の理解に問題が生じない節は見出しに「(↓)」を付しているので適宜活用してください。それでも4000字くらいはあるけど、、
さて、まずは三味線について、一応『日本国語大辞典第二版』の説明を見ておさらいします。
しゃみ‐せん 【三味線】
和楽器の一つ。日本の代表的弦楽器。やや丸みを帯びた方形の胴に棹(さお)をつけ、その先端に海老尾(えびお)を設けたもの。
三弦で、ふつう撥(ばち)で奏する。棹は紫檀(したん)・紅木(こうき)、胴は花梨(かりん)などで作り、胴には猫または犬のなめし皮を張る。
(中略)永祿年間(一五五八~七〇)琉球の蛇皮(じゃび)線が大坂の堺に輸入され、琵琶法師によって改造されたという。さみせん。三弦。しゃみ。さみ。ぺんぺん。
ネコォ、、、。イヌゥ、、。今だとカンガルーが代替として使われることもあるらしいです。カンガルーゥ、、。匂いとか大丈夫なんでしょうか?
それはともかく、このように、三味線は楽器それ自体としては沖縄の三線(さんしん)(≒蛇皮線)に由来すると言われているんですが、沖縄の三線自体も中国の「三絃」という楽器に由来するとされています。中国から沖縄にもたらされた時期としては諸説あるようなんですが、『沖縄古語大辞典』では14c頃になってますね。
また、名称について見てみても、沖縄の三線は古琉球語において「さみせん」「さんせん」「三味線」のように表記が与えられていることから、本土の「しゃみせん」という名称は古琉球語における呼称に由来するだろうと予想が立つと思います。
したがって、巷でよく言われているように仮に中国の「三絃」に由来を求めるのなら、「しゃみせん」が「三絃」と対応関係にあるとみなすことになるんですが、ここで疑問に思うのは「しゃみ」が「三」の漢字に対応することです。
「三」は呉音も漢音も共にサムなので「しゃみ」は通常の日本漢字音としては変ですよね。
この対応を不審に思ってなのか、「三絃」説の次点として「蛇皮線(ジャビセン)」説があげられることもあります。
これについて少し触れておくと、「蛇皮線」とは『沖縄語辞典』によれば三線の中でも胴を蛇の皮で貼った上等のものを指します。ただし、沖縄では普通はこのようには呼称せず、「蛇皮張り」のように言うようで、古語でもそんな感じです。あと、「しゃみせん」との語頭の清濁の対応が不審で個人的には疑問が多いです。
さて、この記事では、「三絃」と「しゃみせん」の対応について考察を行ってみることとします。
以降では便宜上、語形について漠然と指し示したいときは中国原音については「三絃」、古琉球語については「さみせん」、本土中央語については「しゃみせん」とそれぞれ原則的に呼称することにします。
1. 古琉球語における音価
まず、古琉球語の「さみせん」の音価を考えてみるため調べてみると、『日本国語大辞典第二版』によれば、本土での古い用例としては以下が知られている。
*御湯殿上日記‐天正八年〔1580〕二月一六日「まいののち、宮の御かた、御かはらの物、山しろといふ、しやみせんひかせらるる」
*日葡辞書〔1603~04〕「Xamixen (シャミセン)」
従って、特に『日葡辞書』から少なくとの当時本土の中央語では[ʃamiʃen]のような音価でこの語が受容されていたことがわかる。
次に、『沖縄古語大辞典』によれば、「琉歌」(定説はないが15c後半から16c?)においてのみ、古琉球語におけるこの語の表記が在証されており、語形は「さみせん」「さんせん」「三味線」「三味嘔」がある。
さて、「さみせん」の語形を見る限りは、本土中央語での受容のされ方と合わせて、古琉球語においてサ行子音の音価は[ʃ](シュ)に近く、語としても少なくとも音価のレベルでは[ʃamiʃen](≒シャミシェン)のように発音されており、「さみせん」はその反映ではないかと思われる。
一方で「さんせん」については撥音化を被った語形と考えられる。
まず、琉球語においては語中で鼻音+狭母音が撥音化したと考えられる語がある。各方言によって条件は異なると思われるが以下の例では鼻音+狭母音の撥音化を経ていることが予想される。、(語形は『沖縄語辞典』『奄美方言分類辞典上』による。)
「編笠」
沖縄語首里方言 aNdʒasa
奄美語大和浜方言 amigasa
従って、現代琉球語に見られる「三線」saNsiNのような語形を生じる過程としては以下のような二つの可能性がある。
古琉球語 samiseN > saNseN > 現代琉球語(首里) saNsiN
古琉球語 saNseN >現代琉球語(首里) saNsiN
前者であれば「さみせん」がより音韻的な語形の表記に近いものであり、「さんせん」は音声的あるいは音韻的に撥音化に関連する表記であるとすることになる。
後者であれば「さんせん」がより音韻的な語形の表記に近いものであり、「さみせん」は音声実現を反映した表記であることになる。そのような音声実現をなしうるのかという疑問については後でまた触れることにする。
ただ、いずれにしても(16c頃の)音価としては[ʃamiʃen]~[ʃanʃen]の揺れを想定することができる。そして、本土中央語の「しゃみせん」は[ʃamiʃen]の音声実現に由来するものであるものと考えられる。
2. 中国原音の発音
次に、元となる「三絃」の中国原音を考える。現代北京官話ではsānxiánであるため、中国原音での音変化のタイミングによっては、16c頃に古琉球語で「さみせん」を生じ得ない可能性もある。
とは言ってもここでは元となった地域・時代変種の特定はせず、古琉球語の「さみせん」を生じうるような語形が中国語側に存在し得たのかどうか、ということを確認するにとどめる。
2.1.「三」の中国原音(↓)
まず、「三」について考えると、『漢字古今音資料庫』によると中古音類では咸摂開口一等平声談韻心母であり、カールグレンの推定音価では*sɑmとなる。
現代北京官話がsānであり、声母と主母音はおそらく問題ないだろうが、韻尾についてはいつ舌内鼻音韻尾-nと合流したのだろうか。
Shen(2020)によると、明代(1368-1644)の『洪武正韻譯訓』(1375)では談韻が合流した覃韻における韻尾-mの-nへの合流は始まっていて、『西儘耳目資』(1626)では完全に合流しているとされる。(『改併五音集韻』(1212)で覃韻-əmへの合流が確認される)。
「三」 3~9c *sɑm > 13c *səm > ~17c sən
よって、古琉球語が借用したタイミング(14c頃)ではまだ、-mの可能性もあるのは間違いないだろう。
2.2.「絃」の中国原音(↓)
次に「絃」について考えると、漢字古今音資料庫』によると中古音類で山摂開口四等平声先韻匣母であり、カールグレンの推定音価では*ɣienとなる。
現代北京官話では xiánであるのだが、ここで問題になりそうなのは語頭子音の無声化と口蓋化のタイミングである。
Shen(2020)によると、平声の有声頭子音、すなわち陽平の無声化は遼代(916~1125)の契丹文献群より確認される。
口蓋化に関しても完全に口蓋化が確認されるのは明代の『等韻圖經』(1606)まで下るようだが、元代(1279-1368)の中原音韻(1324)ではすでにいくつかの方言で口蓋化(x > ɕ)していたことが示唆されている。
「絃」3~9c *ɣien > ~12c xien > ~14c~17c ɕien
従って少なくとも地域変種としては琉球語が借用したタイミング(14c頃)で現代北京官話のxiánに近い音形になっていた可能性がある。
したがって、ここまでの話を総合し、古琉球語の「さみせん」を生じうる形として大雑把に推定するなら、*səmɕien ~ sənɕienということになる
3. 古琉球語と中国原音の対応
古琉球語 [ʃamiʃen]~[ʃanʃen]
中国原音 *səmɕien (~ sənɕien)
さて、古琉球語の音価[ʃamiʃen]~[ʃanʃen]、中国原音の*səmɕien ~ sənɕienを対照して見た時、古琉球語の[ʃen]と中国原音の*ɕienの対応は特に問題ないように見える。
一方で古琉球語の音価[ʃami]~[ʃan]と中国原音の*səm ~ sənの対応を考えると、古琉球語で両唇鼻音mが生じていることを考えるなら中国原音では*səmのみを想定した方が良いように思う。
従って、対応は古琉球語 [ʃami]~[ʃan]:中国原音 *səmの対応を考えたいのであるが、問題となるのが古琉球語 [ʃami]である。
語頭の子音に関しては、前述のようにサ行音価を[ʃ]と考えれば、その音声実現の幅に中国原音 *sが包含されるのは十分あり得ると思われる。
韻尾については狭母音を添加して開音節化していること自体は日本漢字音を考えれば特段問題にはならないが、その母音がなぜ前舌狭母音iなのかが不審である。少なくとも日本漢字音においては唇内鼻音韻尾-mには後舌狭母音uが添加されるのが基本であるからである。
それにあたって、思い起こすのは「銭(ゼニ)」のように前舌狭母音iを用いて舌内鼻音韻尾-nを開音節化することが上代日本語において行われていたことである。-m韻尾についても同様のことが起こっていたのか確認してみることにする。
3.1. 上代語における母音添加(↓)
それを考えるに当たってまずは、日本漢字音において-m韻尾に母音を添加している例をみてみることにする。
沼本(1986)によると、上代語における鼻音韻尾に対する母音添加が確認される例としては大きく二つあり、一つは万葉集など上代文献における二合仮名、もう一つは「新訳華厳経音義私記」である。
二合仮名から見ていくと、-m韻尾に関しては万葉集の非固有名詞において「南(ナム)」「三(サム)」のようにムに16字、「瞻(セミ)」のようにミに1字使われている。以下が例である。なお、本稿での万葉集の例文は『新編日本古典文学全集』から引用。
沫雪乃 比日続而 如此落者 梅始花 散香過南 (1651番)
アワユキノ コノゴロツギテ カクフラバ ウメノハツハナ チリカスギナム
不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三 (561番)
オモハヌヲ オモフトイヘバ オホノナル ミカサノモリノ カミシラサム
玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石 (729番)
タマナラバ テニモマカムヲ ウツセミノ ヨノヒトナレバ テニマキガタシ
地名を含む固有名詞まで含めると以下があるらしい。
奄美(アマミ)、闇知(アムチ)、淹知(アムチ)、音那(オミナ)、甘南備(カムナビ)、含藝(カムギ)、夷参(イサマ)、与参(ヨサミ)、和蹔(ワザミ)、志深(シジミ)、伊甚(イジム)、澹由比(タマユヒ)、志淡志(シタムシ)、安曇(アジミ)、恵曇(エドモ)、伊奘冉(イザナミ)、品遅(ホムジ)
ただし、亀井孝(1984)によれば、これらの地名表記については、同一の文字が完全に恣意的に用いられていることから、特殊な転用ないし当て字にすぎず、日本語として発音するにあたってはやはり「ム」の音が統一的に用いられたと考えている。
そして、その音価が単に[m]である可能性については、「甞」を「ナム」の音に借りていることや「かむなび」を「甘南備」「甘甞備」のように「甞」と「南」と相通させていることから、「南」は「甞む」と同じく[namu]であったと考えられ、m韻尾はuを添加され[mu]で読まれていたとしている。
中〻尓 人跡不有者 酒壺二 成而師鴨 酒二染甞 (343番)
ナカナカニ ヒトトアラズハ サカツボニ ナリテシカモ サケニシミナム
・・・甘南備乃 三諸山者 春去者 春霞立 秋往者 紅丹穂経 甘甞備乃 三諸乃神之・・・ (3227番)
・・・カムナビノ ミモロノヤマハ ハルサレバ ハルカスミタチ アキユケバ クレナヰニホフ カムナビノ ミモロノカミノ・・・
ここで万葉集の非固有名詞の表記における他の鼻音韻尾の二合仮名について簡単に言及をしておくと、-n韻尾については、「篇(ヘリ)」などわずかに「リ」に当てられる他は「漢(カニ)」「君(クニ)」など「ニ」で安定している。
-ŋ韻尾については「当(タギ)」「鐘(シグ)」「鍾(シグ)」など「ギ」「グ」に当てられるが全体として使用例が少ない。
こうした鼻音韻尾の開音節化は、漢字音を万葉仮名で注した最古の例である「新訳華厳経音義私記」(奈良時代末期写)においてもわずかだが確認される。(以下の影印は『古辞書音義集成 (1)新譯華嚴經音義私記』より。)
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その中で鼻音韻尾に関わるのは以下の三字である。なお、亀井(1984)では「担 太牟反」も挙げられているが、存在が確認できなかった。
瞻 世牟反 (セム)
淪 利爾反 (リニ)
憐 輪二反 (リニ)
ここで-m韻尾のものについては「瞻」が「世牟反」と注を付けられている二例しかないのだが、これが万葉集の二合仮名では唯一「セミ」にあてられていたのに対して、「新訳華厳経音義私記」では唯一「セム」と読みが与えられている。
やや不審の感もあるが、やはり「セミ」は例外的なものであったとするのが無難だろうか。
従って、ここまで見てきたようにやはり日本漢字音においては-m韻尾に対してuを添加するのが通例であるように考えられる。
そして、m韻尾にiを添加している古琉球語「さみせん」の [ʃami]は日本漢字音から見るとやはり異質なものであることがわかる。
3.2. 古琉球語における母音添加
やはり考えなくてならないのは古琉球語において鼻音韻尾がどのように受容されていたかである。実際、鼻音韻尾、特にn韻尾に母音を添加する現象自体は古琉球語でも見られる。
『沖縄古語大辞典』によれば、古くは漢語の撥音に母音、特にiをつけて発音する傾向があったとし、「天(テニ)」「阿檀(アダニ)」「算(サニ)」「大根(デークニ)」「銭(ジニ)」が例として挙げられている。この中には現代方言でも残っているものがあり、首里方言(『沖縄語辞典』より)では「阿檀」がʔadani ~ ʔadaNと揺れはあるようだが残っている。
ただし、これらは「阿檀」「大根」以外は「ん」表記もある他、「天」には「てぬ」と読みが付されている場合や「阿檀垣」に「あたね垣」、「算」に「さね」といった表記の揺れがある。
ところで、これらは全てn韻尾のものしかない。
今、問題にしている「さみせん」と同じm韻尾のものとして「三」を見てみるとこれは単独では在証されない。しかし複合語の前部要素としては「三十」に対して「さんじゅう」、「三月」に対して「さんぐゎち」「さんがち」のように基本的に「ん」で表記されているのが確認される。
中央語のように「む」で表記されることがないのか調べてみると、少なくとも語頭から二拍目が「む」で表記される漢語に関しては「運天(うむてん)」「南鐐(なむぢや)」のみが見つかる。
前者の「運天」は地名であるがこれはn韻尾である。これはひとまずおいておく。
一方で「南鐐」に関してはこれは-m韻尾である。これについて見ると、単独では「なむぢや」「なんぢや」のように「む」か「ん」表記なのだが、「南鐐しご」に「なみちやしご」、「南鐐壺」に「なみぢやつぼ」、「南鐐花」に「なみぢや花」のように複合語においては「み」で表記される例が複数確認される。
このような韻尾が「み」で表記される漢語は語頭から二拍目のものに関しては「南鐐」以外にない。
従って、n韻尾とm韻尾の表記についてまとめると、n韻尾は「に」「ん」を基本として「ね」「ぬ」「む」、m韻尾は「ん」を基本として「む」「み」の表記があることになる。
n韻尾 「に」「ん」 (稀)「ね」「ぬ」「む」
m韻尾 「ん」「む」 (稀)「み」
例外的なものを除けば、中央語の母音添加によく似たパターンを示していることがわかる。
n韻尾の「に」表記については現代琉球語でniで在証されるのであるから、これは文字通り[ni]の音価を表しており、実際にiを添加していただろう。そして「ん」表記はそれが撥音化した結果を反映した表記だと考えられる。
そこからm韻尾の「ん」表記も撥音を表していると類推する場合、気がかりなのは「む」の表記の音価は文字通り[mu]なのか[m]なのかである。
m韻尾が基本的に「ん」表記であること、n韻尾の「運天」が「む」表記を示すことは、m韻尾の「む」表記は撥音としての[m]ではないのか、ひいてはm韻尾は母音を添加されることはなかったのではないかと思わせられる。
これについて考える前に、まず当該の「さみせん」の母音添加の問題の方を先に考えてみると、m韻尾で「み」表記が与えられているのは「三味線」「南鐐」であり、前述の推定よりその音声実現を示したのが以下である。
「さみせん」[ʃamiʃen]
「なみぢや」[namidʒa]
すると、わかるのは後続の子音がいずれも硬口蓋音であることである。
つまり、なぜ「さみせん」がm韻尾に対して中央語で想定されるようなuではなくiを添加しているのかという問題については、仮にデフォルトではuが添加されていたとすれば、後続の子音のが硬口蓋音であるために前舌化しているという説明を考えることができる。
m韻尾が母音を添加していないと考えた場合、口蓋化を反映しうる分節音がないため、なぜこれらの語のm韻尾が[mi]で実現するかを説明するのが困難である。
従って、m韻尾の「む」表記は[mu]の音価である可能性が高い。n韻尾の「む」表記に注意を払うなら、少なくとも古くはm韻尾はuに近い母音要素を添加して開音節化されていた可能性が高い。
結論:「しゃみ」は「三」(多分)
さて、古琉球語における鼻音韻尾の受容の話にやや話がそれたが、ここまでの話から「三絃」と「しゃみせん」の対応について以下のような過程を考えることができる。
~14c 中国語方言 「三絃」*səmɕien
14c 琉球語 *ʃamuʃen >「さみせん」ʃamiʃen (>「三線」saNsin)
16c~ 中央日本語 「しやみせん」sjamisen
まず、14c頃の中国語で比較的早く口蓋化(x > ɕ)が進んだ方言形として「三絃」*səmɕienを考えることができる。
それが琉球語において、*ʃamuʃenのようにサ行音価を[ʃ]としてm韻尾に母音添加されて借用されたが、後続の硬口蓋子音によって添加された母音が前舌化して「さみせん」ʃamiʃenのように日本漢字音「三(サム)」とは異質の対応を示す変化を生じた。
そして16c頃に楽器が本土にもたらされ、中央日本語では「しやみせん」sjamisenとして借用された。一方で、琉球においては狭母音化と撥音化を被り「三線」saNsinを生じた。
したがって、「しゃみせん」の由来を「三絃」に求める語源説はその形式の対応の整合性をとることができる。古琉球語のm韻尾の漢字を含む語例の少なさ(ないし検討数の少なさ)など懸念点はあるのだが、個人的には「しゃみせん」の語源説の中では楽器の系譜に即している点でも「三絃」説が望ましいように思われる。
タイトルに関して言うなら、どうやら「しゃみせん」の「しゃみ」は「三」であるらしい。
な、なげ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!(横転)
誰も読まないよ!!!自分ですら他人のこの長さの記事は気軽に読もうとは思わないもん。
と、いうわけで開き直って要約をつけたのでした、、。
まぁ、何かを調べて、それをある程度公開された手続きで論じようとするとレポート調になってしまうのは仕方ないんですけどね。多分、既存の言語学用語について説明するとかだったら、もっと簡単にまとめることはできるとは思うんですけど、何かを論じるってなった時に手短に読みやすい記事って書けるんですかね?
ツイートで事足りる内容を引き伸ばせば、あるいはって感じもすると言えばするけど、、。う〜ん、やっぱりテーマ選定と文章力の問題にも感じてきたな、、。
というか、これ誰が読むこと想定された記事なんだ、、?
、、、、次はもっと短くて読みやすい記事書くぞ〜。
参考
和文
- 沖縄古語大辞典編集委員会 (編) (1995)『沖縄古語大辞典』東京:角川書店
- 亀井孝(1984) 「上代和音の舌内撥音尾と唇内撥音尾」『亀井孝論文集3 日本語のすがたとこころ―(一)音韻―』 東京:吉川弘文館
- 国立国語研究所 (編)(2001)『沖縄語辞典』9 刷, 東京:財務省印刷局
- 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部 (編)(2000)『日本国語大辞典第二版』小学館
- 長田須磨・須山名保子・藤井美佐子(編) (1977)『奄美方言分類辞典上』東京:笠間書院
- 沼本克明(1986)『国語学叢書 日本漢字音の歴史』東京:東京堂出版
- 森田武(1993)『日葡辞書提要』大阪:清文堂出版
欧文
- Shen, Zhongwei (2020) A phonological history of Chinese. New York : Cambridge University Press.
資料
- 小島憲之・木下正俊・東野治之(校注・訳)・嶋田英誠・中澤富士雄(編)(1994–1996)『新編日本古典文学全集』6–9(萬葉集1–4)東京:小学館
- 小林芳規・石塚晴通 (1988)『古辞書音義集成 (1)新譯華嚴經音義私記』東京:汲古書院
- 漢字古今音資料庫 https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ccr/